2008年12月23日火曜日

今年そして来年



一年の始まりはスケジュール帳を買うことに始まる

ような気がします。

来年はこれです。

Takillarみたいな日記を書いてみました。

2008年12月21日日曜日

2008年12のコト



1.#13の衝撃
1月1日元旦、2008年は間違いなく彼の衝撃から始まった。。。



2.大阪の夜
まだまだ知らない日本がそこにはあった。USJも行けたし大学最後の思い出。
戻りたい日。


3.Liberta In Guam!!
最後のバカンス。これも戻りたい日。


4.働くということ
初めて味わった責任と葛藤。


5.ミシン
縁あってある焼菓子店のエコバッグをひたすら作る。とにかくミシンと向き合う日々だったな。


6.親不知
始めた味わった手術。あんまり言いたくないけど、お世話になった歯科医が他界。衝撃すぎた。
ご冥福をお祈りします。

7.フリマ
今年はめちゃくちゃフリマやったなー。
そして明日もやります。

8.パーティ始動!!!
何かイメージをカタチにしたい。
それができた瞬間。
人を動かす面白さを知りました。

9.三浦海岸で最高の夏
プライベートビーチで夜通し爆音。
砂浜に裸足で踊り狂う。
最高でしょ。


10.蒼井優
相変わらずかわいい
どーしたらオトモダチになれるのでしょうか。

11.今年は暇さえあればチャリに乗ったな。
相方です。

12.祝連覇
やっぱりアントラーズが大好きだ。
茨城最高!

1年は365日。
しかし思い出せるのってごくわずか。
その1秒を思い出せますか?
もっと深く
強く生きていこう。

2008年12月11日木曜日

残酷のコントラスト

かつての常勝ジュビロ磐田が危機に立たされている。

鹿島アントラーズの栄光の陰で。

8年ほど前は、試合を観に行っても、うわー勝てる気しないなーとまで思えたチームなのに。

N-BOXというシステムは当時恐ろしいまでに斬新だった。

似たチームカラーのクラブだけにJ1からいなくなるのは寂しいですね。

2008年11月28日金曜日

遠く蒼い日

ユニフォームを揃えて初めてひとつのカタチにしたあの日のことを覚えていますか?

初めての芝に興奮したことを。

1点目は正直覚えていない。

気がついたら僕は歓喜の輪の中にいた。

2点目はハッキリと覚えている。

この頭をたしかにかすめたあのボールの感覚を。

僕は今でもハッキリと覚えている。

マチガイナクあの日、僕らは輝いていた。

あの日がイチバン僕たちは輝いていたんだ。

またあんなふうにピッチを駆け回りたいなぁ。

いつか

走れなくなるソノヒまで

みんなで走ろうじゃないか。

僕らはサッカーチームなんだよ。

2008年11月24日月曜日

カカナクテイイコト カカナイトヤッテランナイコト

冷たい雨

ずぶぬれ

寝不足

昨日八つ当たりした拳が今さら痛い。

もうサイアクサイアク。

ほんとに嫌な一日だった。

そんな日の最後は上司からの教育。

まー説教だよね。

ズバッと言ってくださるということはありがたいこと

それは分かってるし。

何より全部図星。

何がショックって、それが期待よりも心配に限りなく近いものだったから。

反論する権利がなかった。

今の僕には。

でもこんな日がどん底。

こんな日は今年最後にしよう。

底を見たからあとは這い上がるだけ。

やはり僕は気持ちを言葉にするのが苦手だ。

考えてるなら、分かってるなら

行動しろよ

っていう。

行動。

明日からがんばろう。

悔しいから劇的に変わりたい。

自らの行動で。

そんな日が来たら

いつか

反論しよう。

いつかその日が来るまで。

あしたからまた

やるのみ。

んじゃ。

2008年11月18日火曜日

休日

ログイン方法を忘れて放置していました。

書きたいことはたくさんあったんですが、それもまた忘れているので思いついたことを。

いきなりですが、

イメージをカタチにすること。

それにここ4年くらい悩まされています。

それは陶芸にせよ、服作りにせよ、そういった芸術など物質的な意味においても、

夢の創造だとか人間的価値の形成だとか言語化できないような思想的部分においても。

18年暮らした田舎を出て、18の春上京し、今年で5年目。

過去の18年に負けないくらい濃い4年を過ごしました。

というより一日が濃いというか、無限の可能性があるのだと思います。

この地には。

この生活には。

家族と過ごすのと、1人で生活するには、

その幅があるのだと思います。

それを生かすも、負けて殺すも、

全てが自分次第なんですが。

こっちに来て、自分が好きなものがはっきりしてきました。

それは今時点の段階であり、この先変わるのかもしれません。

でもきっと軸はぶれることない、と思います。

肉付けがどれだけできるか、

せっかくこっちにいる間に、どれだけのつながりをつくれるか。

それをいつか、生まれ育った田舎に昇華できるか。

それが今、はっきりした僕の夢です。

ぼくは賭けてみたい。

その意味でも次のパーティーはある意味、第一歩です。

また、自分の悪い部分もはっきりしました。

嫌いなことから逃げる。

行動が伴わない。

消極的。

弱点を強みに変えるために、行動を起こそうかと思います。

晩秋の朝。

というか昼。

では。

2008年11月10日月曜日

TEDDY

リベルタブルーの理由

チームカラー

文字通り、チームの色ですから意外と大切なものです。

当初、チーム草創期のころからユニフォーム作成は夢のまた夢のお話でした。

某スポーツ店へ行ってはユニフォームのカタログをもらってきて、これがいいだとかなんだとか話をしていました。

飯田氏が当時から熱狂的なアントラーズファンだったところから、当初は赤が有力視されていました。

たしかナイキ社に契約間近でした。

それが急にプーマ社の赤に変わりました。

そして。

僕は密かに水色がかわいくていいなと思っていました。

でも監督は乗ってこないだろうな、と思っていたんです。

そこで監督にこれはどうだろうか。

と提案してみました。

すると

今思い出しても意外や意外。

いいね、という反応。

さらに

部屋に貼られた当時ラツィオのアレッサンドロ・ネスタのカードを指差し、ラツィオっぽくしよう!!

とのこと。

ま、実際の話。

水色ってなんだか女の子にウケそうじゃん。

っていうのが僕の本音でした。

マネージャーに着て欲しいジャージーが水色のプーマのやつだったし。

という不純な理由でカタチとなったリベルタブルー。

でもそういう邪な気持ちって実は大事ですよ。

2008年10月23日木曜日

origin

まぁこういうことをハッシンするブログというわけではないんですが。

ものごとの由来というのは大切なものだと思うわけで。

リベルタ大原の由来について。

知ってる人もいれば知らない人も多いのでは。

これは何を隠そう、僕の自己満足で決めた部分があるわけです。

というかリベルタ大原自体、結成前から僕の頭の中にずっと妄想で作り上げていた組織なのです。

サカつくの影響が強いと思います。

“サッポロテレビ”という遊びもそうです。

歴史を辿れば友部小1年4組のピーナッツう☆こ株式会社から(今思えば最低だけど天才)

3年2組の目立ファイターズ。(恭平も所属)

5年3組の田川製薬(田中と市川)

友部中2年7組のえんぴつ野球(恭平と135試合やりきった)

これら全部僕とひっくんとか恭平の脳みそが共鳴した結果の遊びです。

言語化できないな。

話は反れたけど、リベルタの始まりもそうなんです。

今だから言えることで。

でも自己満で始まったパーティーが6年続いているというのは正直、自負していい部分ですよね。

別に僕がどうとか、じゃなくてみんなの人徳ですよホント。

リベルタという名前、これは今でも覚えています。

なにか組織を始めるにはカタチから入らないといけないところもあります。

まー名前ですね。

佐和高校時代、授業中にずっと辞書を引きながらしっくりくる名前を探しました。

サッカーってどんな時にやる??

暇な時だ。

暇って何て訳すんだ。

英語ではなくイタリア語で調べてみたんです。

そのほうがカッコいいと思ったんですね。

暇、自由を表す言葉。

Liberta。

自分で決めた言葉だからか、今思えばあんまり好きじゃない時期もありました。

名前がね。

でも今はなんでもいいんです。

ちなみに大原、は僕の大原小学校への強い憧れが表れています。

後付けで、大原小出身者が多いというのと、最初の練習場所が大原小だったから?って説もあります。

諸説あるのもおもしろいっすけどね。

じゃあ次回はユニフォームのカラーの決定秘話について話そうかな。

おやすみー・・・・

2008年10月21日火曜日

ショシンヒョウメイ

僕は色だとか材質だとかが好きなんだけれど、

青と白を混ぜ合わせればきっと水色ができる。

でもそれってたぶんリベルタブルーではない。

青と白と何か、、、、、

その“何か”を探しハッシンするべく、

ブログ、リスタートです。